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兎を狩ることのないワラダ(*企画展より引用)
パイ皿から始まったとされるフライング・ディスクは、投げて遊ぶ道具、または競技に使用する道具としての円盤である。自身の制作題材でもあるフライング・ディスク(フリスビー)に派生するものとして、私はワラダを調査しようと考えた。
日本においてフライング・ディスクと形状が似ているものとして、狩猟目的で作られた円盤に取手が付いたワラダがある。ワラダは藁でできており、空を切る音で兎に天敵の鷹がきたと錯覚させ、穴に逃げ込ませ動かなくなったところを狩るという道具とされている。ワラダは東北地方で呼ばれる呼び名で、藁で作ったタカ、ワラダカ、ワラダと呼ばれ、飛騨地方ではシュウタン、ヒユウタン、白山の山麓ではシブタ、シュウタと呼ばれている[1]。
現在では狩猟や藁細工自体が衰退してきたこともあり、ワラダを制作し、また扱える人間はほとんどいなくなった。2021年から始めたワラダに関する調査の中では、秋田県北秋田市の打当地区のマタギへの聞き込み調査に赴き、実際に使用されていたワラダを調べ、その後ワラダを制作しそれを実際に飛ばして作品を制作するプロジェクトを進行中である。企画展はその経過展である。
この調査で自身の前提にあるものは、円盤の浮遊物体が獲物を狩る道具として日本に存在していたという事実を身体的な感覚を通して記憶するというものである。しかし、ワラダにまつわるマタギ文化と藁細工の伝統が失われつつある現在において、その記憶を正確に受け継ぐことは非常に困難な状態にある。
2021年4月に行われたマタギへの調査では、ワラダ狩猟に関わったことがある人は見つけられず、唯一回答があった人物からはワラダは祖父が一度投げて使っているところを見ただけで自分では使ったこともなく、また現在この地方で使える人はいないだろうとのことだった。
実際北秋田市のマタギが使用していたワラダの形状としては、想像していたよりも軽く、そして薄かった。ふっくらした厚みのあるものだと思っていたものが、リング型で薄い滞空性の強いものだったという印象である。藁の編みは空気の入るような隙間はなく、強靭に編み込まれていた。
また他にもワラダを幾つか見たが、それらは手製の道具であるためそれぞれ少しずつ違った形や大きさをしていて独自性があった。独自性があるということは、違った軌跡を描いて飛び、また飛距離には差が出てくるということだ。また、藁を編むことのなかに藁それぞれの香りがあることを知った。保存状態や品種、収穫された時期によって匂いや色かたちが異なる。藁の加工に適したものとそうでないものもある。今回雪の中で投げたワラダ(展示物J)は現地で知り合った方からもらってきた藁を使用している。それは藁細工に適したものではなかったため、切れやすく編み込むのが難しいものであった。
2022年に行われた冬のリサーチでは実際に雪の中を歩き、ワラダを投げた。雪山の中を登り降りする体験から、予想以上に身動きが困難な状況の中で狩が行われることや、リング構造のワラダの持ち運び安さ、軽さを実感した。また、周りが静かすぎるということも相まって自身の雪の中を歩く音は大きく聞こえ、動物達に気がつかれているような気がした。
雪の中を歩くと目につくのは動物たちの足跡である。様々な種類の動物の足跡があり、その中には兎の足跡もあった。直線的に進んでいるものや、追いかけあったようにバラバラになって散らばる足跡も見かけた。上空から見れば白いカンバスの上に足跡の点線を引いているように映る。
山の斜面では雪崩で転げ落ちた雪の塊が固く氷っていたり、突然空いている穴などもあり、前に進むにしても障害物は多い。山のことを知り尽くすマタギだからワラダを投げて兎を捕まえることができるのだ。
2021年春にリサーチに訪れた際に、マタギが山でとってきた素材で作った薬を秋田から北海道に住むアイヌ民族に売りに出かけていたことを知る。北秋田市の地名は「笑内(オカシナイ)」等をはじめとした特徴的なものが多く、その様な話からマタギとアイヌ民族の交流と地名が関係しているのではと推測する人もいた。
マタギは一年を通して山に入り、植物や動物、鉱物等から薬や食料調達、また管理などを行う。旅マタギという全国を旅しながら生活を送るマタギもいるが、どんな山や自然の中でも生きることのできる知識や知恵、体力があるということだ。
兎を狩る際に使用する狩猟道具はワラダ以外にも木の枝がある。手頃な大きさの木の枝を投げてワラダと同じ手法で狩るのだ。この手法はワラダよりも全国的に行われている手法であるようだ。木の枝は投げることはできるが、キャッチはできない。ワラダも受け取ることが前提に作られてはいない。
ワラダを投げ合うという可能性を考えた。本来なら、ワラダを投げた後、兎に駆け寄り穴から引っ張り出し、木の板を使って頭を打ち仕留めるのである。役目を終えたワラダは一連の動作の後に回収されるのだろう、ワラダを受け取って投げ返す者はいない。
企画展で制作されたワラダはリングのように穴が空いている薄いもので、真ん中を貫くように持ち手がついている。投げてみてわかったが、持ち手のあるものの方が力が伝わりやすく、安定して回るので、遠くに飛んでいるようであった。
しかし、持ち手のないワラダはフライング・ディスクによく似ている。キャッチ&スローが行いやすい形状だ。しかし撓みやすい藁で作られているため形も回りも安定していないため、飛ばす際には藁の柔かいしなりでブレる中心軸をコントロールする必要があるだろう。回転軸が安定すれば飛距離が伸び、自ずと対空時間も増す。
ワラダをはじめとした藁で作られた民具とその制作技術は、使用する人間の減少により消滅していきつつある。もはやワラダを使用して兎を狩るものがいないからだ。物体としてのワラダだけが残り、道具としての記憶は不在のままである。ワラダは投げた者が去ってしまってから着陸地点を失い、我々の手の届かない場所を彷徨い続けているのかもしれない。人間によって現在までに作られた多くのモノがそうであったように、ワラダも葬り去られた記憶の中に埋もれて実体がわからなくなっている。
ワラダを想像することは幽霊となって彷徨うワラダに会いにいくようなものだ。兎を狩ることのないワラダは実体のないままこの世界を飛び続けている。
(2022年2月23日吉野)
現在までの調査では現地に赴いて話を聞き、実際にワラダを作って飛ばすこと、またそれを現地の雪の中で飛ばすこと、そしてそこから派生した作品を制作している。企画展ではリサーチの中で生まれた作品とワラダが展示されている。
[1] 天野武『野兎の民俗誌』所収、岩田書院、2000年、赤田光男『ウサギの日本文化史』所収、世界思想社、1999年、158頁
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